インシャラー ~’90

1990年7月6日 〈Elford, Morocco〉

ローカルバスに何時間も揺られて、ワルザザードからテネリールを経由してエルフードへ。

バスから見る風景は、ときたまオアシスが見えるけれど、ずっとずっと草木も何もない土漠だ。

それでもたまに、小さな川を頼りにできた集落のようなものがあって、人々が暮らしている。

途中でバスを降りて何もない土漠を歩いて行く人がいたが、いったいどこに向かっているのであろう?見える範囲には何もない。

バス停どころか道だってあるようなないようなところなのに、降りる場所をどうやって知るのであろうか?この暑さの中、ずっと歩いていくのか?

まるで他の惑星にいるような、海の底にいるような、奇妙なな錯覚にとらわれる。

エルフードのホテルのフロントでサハラに行きたいと言うと、「サハラ!?あんなとこ、砂しかないぞ!」と驚かれた。

日の出る国、東の果ての日本から、わざわざ日の沈む国、西の果てのマグレブくんだりまでやってきて、そして砂を見たいだなんて酔狂と思われたのだろうか。

道路はないので、行くとしたらランドクルーザーでしか行けない、車とドライバーひとりをつけて、1万円でどうだ?

この国で1万円は破格だ。もちろん私たちにとっても。

こちらがまずはずっと安く言うのを前提として、交渉しながら互いの妥協点(3000円辺り?)に落ち着くことを念頭に、相手はわざと高値を言ってきたのだと思う。

けれど、長いバス旅でくたくたに疲れていて、暑くて頭も働かない。

時間と気持ちに余裕があれば、じっくり交渉もするのだけれど、もうどうでもよくなってしまった。

日本人は砂を見るために1万円払うという先入観を植え付けて前例を作ってしまうのは、これから来るかもしれない日本人には申し訳なかったけれども。

オーケー、それでいいです。夜明けを見たいので、午前3時出発ということで。

明日の天気はどうですか?と訊くと「インシャラー」(アラーの神さまの御心のままに)との返事。

*****

追記(2017年) 今は砂漠ツアーというものがあって、大型バスに乗って簡単にサハラ観光ができるのだそう。土産物屋やレストランもあるとのこと。

砂がお金になるとはね、と現地の人たちはホクホクかもね?

2017年3月23日 at 08:36 コメントをどうぞ

暑すぎる! ~’90

1990年7月4日 〈Ourzazart, Morocco〉

マラケシュがこんなに暑いのに、サハラなんて行ったら死んじゃうよ、と、皆に言われたけれども出発した。

先延ばしにしてたら、さらに暑くなる。

アトラスを越えて、カスバ街道を通り、まずはワルザザードへ。

気温、45度。初体験。思考停止。

何か祭りのようなもの(犠牲祭の一環なのであろうか?)をやっていたようだったけれど、何も考えられず、動けず。

ホテルのなるべく冷たい壁にもたれてぐったり、じっとしている。

安ホテルにはエアコンなんてもちろんない。

体温計はどうやって使うんだろう?熱が出てもわからないじゃん。

水をやたらに飲む。なのに汗が出ない。汗が出ていることにも気づかぬうちに乾いてしまうのかもしれない。

2017年3月22日 at 09:00 コメントをどうぞ

羊祭り ~’90

1990年6月22日~7月3日 〈Marrakech, Morocco〉

羊祭りが始まるらしい。

祭りといっても、羊をBBQにして陽気に飲めや歌えの大宴会というわけではなく、ホントの名前は「犠牲祭」という年に一度のイスラム教の大きな行事。

羊はその生贄。

それぞれの家が羊を買って行う。何を行うのかはよくわからないけど、宗教的な儀式のようなものなのかな?

郊外の野外市場。ロバや羊やヤギを売っている。

皆が準備に大忙し。

あっちもこっちも羊を運ぶ人たちでいっぱい。

アブデスラムの家にも羊が4頭。彼らに明日はない、と、アブデスラム。

いくら友達になったからといって、イスラム教徒でもない私たちが足を踏み入れるのはここまで。

いったい、どんなことをするのであろうか???

翌日。

ジャマエル・フナはいつもの喧騒はどこへやら、シーンと静まり返っている。広場には誰もいない。

その代わり、生贄になった羊の生首が裏の通りに並び、生臭い血の匂いが漂ってきた。

生贄って、言葉のアヤとかじゃなくて、正真正銘ホントの意味の生贄だったんだ。

あれだけたくさんの羊が一晩のうちに、生贄にされたのかと思うとぞっとしてしまった。

アブデスラムに「見においでよ」と言われていたけれど、行かなくてよかった、見たら卒倒してたかもしれない。

2017年3月21日 at 09:07 コメントをどうぞ

ひやり ~’90

1990年6月22日~7月3日 〈Marrakech, Morocco〉

夜、アブデスラムと新市街まで散歩に出た。

ワインでも飲まないか?と誘われ、とあるバーへ。中は薄暗い。女人禁制、男ばっかり。

アルコールご法度の国でも、こんな店はあるんだね~。

おつまみなんてものはなく、テーブルにはグラスとワインのボトルだけ。

禁を犯しているという意識のためなのか、陽気なお酒ではなく、皆がぼそぼそ話をしながらただただ杯を重ねる。

空腹でたくさん飲んだせいで、酔っ払ってフラフラになってしまい、帰りはタクシーで帰ろうということになった。

しばらく走ると、乗ったタクシーが白バイに止められた。

運転手と警官が何かを話している。

警官が車の中を覗き込んで、私たちがいるのを見咎め、さらに何かを話し、ちょっともめてる感じ。

何が問題なのかよくわからない。

けれど、余計な口出しをして事態を悪化させてはまずいと思い、ずっと黙っていた。

どのように話をつけたのかやりとりの内容はまったくわからなかったけれど、なんとか事なきを得たようだった。

後からアブデスラムに聞いた話によると、オフィシャルガイド以外のモロッコ人とツーリストが同じ車に乗るのはいけないことらしい、特に外国人女性との同乗は。

それを知っていて乗せたタクシードライバーも咎めを受けるのだそう。

タクシー代はツーリストプライスで、それに迷惑料としてチップを少し上乗せして私たちが支払った。

最初からそれが目的だったのかとチラリと頭をよぎったけれど、アブデスラムもタクシー代を半分出すと言ったので違うのだろう、断ったけれど。

ワインをかなり飲んでるし、彼もひやりとしたと思う。

マラケシュの郊外にある美しいメナラ庭園

*****

追記(2017年) このときはアブデスラムにもうすっかり信用を置いていたので何とも思わなかったけれど、昨今のニュースを見知った今思うと、誘拐、拉致とまではいかなくとも、全員がグルで、睡眠薬入りワインを飲まされて身ぐるみはがされてお金もパスポートも盗まれるなんてことが起こらないとは限らない状況であった。

アブデスラムにしても、自分がワインを飲むという禁を犯しているだけでなく、ツーリストを連れまわしていたわけだし、下手をしたらハンドボールの代表選手としては困った立場になったかもしれない。

無事でなによりであった。今頃になって胸をなでおろしている。

2017年3月20日 at 11:13 コメントをどうぞ

喜捨とツーリストプライス ~’90

1990年6月22日~7月3日 〈Marrakech, Morocco〉

ツーリストプライスなるものが存在することを知った。

・サボテンの実

アブデスラムと歩いていて、サボテンの実を売る屋台が出ていたので、食べたことないと言うと、アブデスラムが買ってくれた。10個で3DH。

アブデスラムは怒って、いつもは1DHじゃないか、どうしてだ?と屋台店主に食ってかかると、おまえと一緒にいるのは日本人だろう?だからツーリストプライスだと答えたらしかった。

そうだったんだ。タクシーもレストランも何もかも、値段が違ってたんだ。気づかなかった。

・郵便局

増えてしまった荷物を日本へ送ろうと、郵便局へ行った。

梱包してあげようと数人がやって来て、奪うようにして梱包してくれたのはいいけれど、お金を要求される。

挙句「船便で」と言うと、日本へは船便では送れない、航空便だけだと言って法外な郵便代を提示された。

どうして船便がないの?と訊くと、見ればわかるじゃないか、マラケシュには海も港もないだろう、という返事。

頭にきて、じゃあ、送るの止める、と言って帰ってきた。半日を無駄にしてしまった。

アブデスラムにそのことを言うと、自分が一緒に行けば安く送れるかもしれない、と言ってくれたが、もういいよ。

こうなると、荷物がちゃんと届くのかどうかも疑わしいし。

郵便代にもツーリストプライスがあるのだろうか?

・お茶

旅の途中で知り合ったT松くん。彼はもう半年もマラケシュにいる。アラビア語も少しできて、カフェでお茶を飲みながら新聞を読むのが日課。

この日、私たちが同席したせいなのであろうか、お茶の値段がいつもと違ったらしい。これまでずっと1DHだったのに、この日は1.5DH。

T松くんはウェイターを呼んで、昨日と値段が違うなんておかしいじゃないか、と言うと、ウェイターも何かを言い返している。

小一時間ほど言い合いをして、ウェイターの方がとうとう折れた。やったね!

でも0.5DHの違い。日本円にしてみたらたったの10円なのだった。

確かに私たちは払える。相手もそれを知っている。

日本人にとっての10円とモロッコ人にとっての10円はまったく価値が違う。

持っている人が持っていない人に富をわけるという「喜捨」はイスラム教では当たり前の考え方だ。

だいたい私は、これまでツーリストプライスなんてものがあることも知らずに、レストランで普通に食事をして、それを安いと思って普通に払っていたのだから。

それは決してツーリストをだましているわけではないとは思うのだけれど。

だけど、なんとなく釈然としないのはなぜなんだろう?

スークの中のなめし皮職人のいる一角、タヌリ。ここで皮を染色している。

2017年3月20日 at 10:40 コメントをどうぞ

マラケシュの友人 ~’90

1990年6月22日~7月3日 〈Marrakech, Morocco〉

マラケシュ。

旧市街のゲートをくぐるとジャマエル・フナ広場。通称、キ〇ガイ広場。

昼間はオレンジジュース売りの屋台がぐるりと広場を囲み、中では、蛇つかい、猿回し、大道芸、物売り等々、怪しげな商売人で大賑わい。

お祭りというわけではなく、これがここの日常。

広場からスーク(市場街)へ続く入り口のほんの片りんをカフェから隠し撮り。

スークには絨毯屋をはじめイスラム模様を施した金銀食器や革製品などの土産物から、香辛料、パン、ピクルス、野菜、日用品など、さまざまなものを売っている。

絨毯の色、香辛料の色、金銀の輝く食器の色、薄暗いスークの中は色鮮やか。

どうしても欲しいもの以外には、興味を示したりせず、値段も訊かない。これまでからの教訓。ホントは、これなんだろう?なんて、いろんなものを手に取ってみたいんだけど。

それから、お店や大道芸の人たちにカメラを向けると、これまたいちいちめんどくさいことになるので、写真を撮るのは止めた。

夜の広場では、屋台がズラリと並んで、ケバブや焼き鳥があちらこちらで焼かれ、もうもうと煙をあげている。

オレンジジュースは、注文すると目の前でオレンジ3個をグラスに絞ってくれて、2DH(40円)。ハリラという豆のスープが1DH(20円)。屋台はどれも安い。

昼間の気温、38度。暑くて、オレンジジュースの屋台には一日に何度も通って、店の少年とはすっかり顔見知りになり、おまけしてくれるようになった。

マラケシュに着いた初日に、ホテルのフロントでアブデスラムというPTT(郵便局&電話局)の職員と知り合いになり、親しくなった。

彼は、ハンドボールのマラケシュ代表チームに属していて、パリ遠征をしたこともあるのだそう。

お茶に誘われ、けれど、彼の家はメディナの中にあって、ちゃんと帰ってこれるのか、ひょっとしたら騙されたりするのかも?なんて疑心暗鬼になっていたけれど、殺されたりはしないであろうと、思い切ってついて行った。

迷路のような細い路地をくねくねと、重い扉から中に入ると、明るい吹き抜けのリビングがあり、真ん中には噴水がある。それは特別なことではなく、皆の家がこんな感じなのだそう。

翌日は、家族が揃っているからと、お昼に招かれタジンをご馳走になった。すごく美味しくて、ご家族の皆さんも初対面なのにとても親切にしてくださり、疑ってしまったりしたこと、恥ずかしくなった、申し訳ない。

滞在中、アブデスラムが彼女を連れてきて一緒におしゃべりをしたり、彼のハンドボールの練習試合を日本人グループ6人もで観に行ったりと、すっかり仲良くなって普通の友達付き合いができた。

マラケシュでは、日本人とも何人も知り合って、こんなところで出会う日本人は同類、暑いこともあって、毎日何をするでもなく広場とスークをブラブラ、お茶を飲んでダラダラ過ごした。

誰かが「流しそうめんが食べたいなぁ」なんて言い出して、皆から「あ~、言っちゃった!」「それは言わない約束!」と非難轟々。

流しそうめんか・・・。夢に出てきそう。

*****

追記(2017年) アブデスラムはホントにいい人で、彼と知り合いにならなければ、私はモロッコという国を嫌いになっていたかもしれない。

彼のおかげでマラケシュは楽しくて、彼の自宅の中をはじめツーリストでは行けないようなところへも連れて行ってもらって、モロッコ人の生活も垣間見ることもできた。

思いがけず長い滞在をしてしまった。

また、ここで出会った日本人の友人たちは、今でもお付き合いがあり、帰国直後はちょくちょく集まったりしていた。

2017年3月19日 at 09:00 コメントをどうぞ

イスラム・マジック ~’90

1990年6月19~21日 〈Rabat, Casa Blanca, Morocco〉

カスバ。赤茶色が真っ青な空にはえて、コントラストが美しい。どこもかしこもカラカラに乾いてる。暑い。でも湿度が少ないせいか日影は比較的涼しく、夜は肌寒いくらいだ。

そういえば、雨をずいぶん見ていない。日本は今頃梅雨だろう。少し雨が恋しい。

1ディラハム(DH)=約20円。

モロッコ料理の代表、タジンやケバブ、クスクスは平均して15ディラハムほど。日本円で約300円。ホブスというパン付き。肉は羊。

スペイン料理にいささか胃もたれしていたせいか、どの料理もパンもとても美味しい。フランス領だった影響もあるのかな。

羊の肉もこんなに美味しいなんて知らなかった。日本にはない香草や香辛料の使い方が上手いのかもしれない。

あるレストランで、アラビア語とフランス語のメニューを出されて、もちろんどちらも読めず、仕方ないので適当に指をさして注文すると、なにやらカッテージチーズのトマト煮のようなものが出てきた。

白子みたいにふわふわしててなかなかのお味。

これ、何ですか?と尋ねると、羊の絵の頭を指さした。

どうやら、羊の脳みそ?びっくり!でも、食べた。

カサブランカは、あまり異国情緒は感じられず、ヨーロッパ並みの大都会。高級ホテルや高層ビルもたくさん。歩いている人々も男の人は普通にネクタイとスーツ姿、女性はスカートにパンプス。

映画「カサブランカ」を模したバーがあって、お酒が飲めるということだったので行ってみると、ただ単に映画のポスターが貼ってあるだけ。もちろんボギーもバーグマンもピアノマンもいるはずもなく、がっかり。

その上、ハイネケンを飲んだら、なんと25ディラハム!500円!東京並みじゃん!

ミーハー気分でこんな店に来て、アルコールご法度の国でビールなんて注文したのがそもそもの間違いであった。

それにしても、イスラムの寺院や王宮はホントに美しい。イスラム模様がすごくきれい。細かなモザイクに目眩がするほど。

ミナレットの上にコウノトリが巣を作っていた。

*****

追記(2017年)もはやどの写真がどこのなんなのかわからなくなってしまった。しかし、どの写真も左が下がって斜めになって曲がって写ってるよね。なんでだ?

2017年3月18日 at 08:07 コメントをどうぞ

過去の投稿


Follow swimming cat diary II = ∂.∂ = on WordPress.com
2017年3月
« 2月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

カテゴリー

最近のコメント

右利き、左回り への ecoring
右利き、左回り への ノムラ